ずっとあなたが好きでした

オードリー・ヘプバーンは生まれた時から大女優だったの?

「一年生は板橋だけなんだろう?」
「あ?」
 当初新入部員は六人いたのだが、気がつけば継世一人になっていた。無限軌道は、豊多摩大学にいくつかある演劇サークルのうち、最も歴史があり最も硬派で、新宿が文化の中心だったころ圧倒的な人気をほこり、全共闘運動と歩調を合わせて凋落、現在では最も人気のないところだと入部後に知った。マイナーなくせにいっぱしぶって芸名を持ち、それで呼び合っているのは滑稽だ。
「同期がいないのなら、二年後は自動的に部長の椅子だろうが。今のうちからゴマをすっておくか、ほい」
 銚子が差し出される。継世は顔をあおぐように手を振りたてる。
「冗談はよしてください」
「冗談というのは、こういうのを言うんだ。継世に注ぐよ、なんてな。いいから飲め」
 猪口を差し出し、なみなみ注がれたぬる燗を舌ですくい取る。
「そこはぐっと空けるもんだよ、部長」
「部長なんてできっこないじゃないですか。僕、初心者なんですよ」
「オードリー・ヘプバーンは生まれた時から大女優だったの?」

歌野晶午.ずっとあなたが好きでした(文春文庫)

ねこです。

せんりのみちも いっぽから。
なにごとも ふみださなければ なにも はじまらないってことです。
「こういんやのごとし」なので 「おもいたったがきちじつ」です。
おねいさんも いつか スペインひろばで ジェラートを たべたいって おもっていましたが
どうやら げんざいは たべあるききんしだと ききました。
なので やろうとおもったら すぐ こうどうすべきなのです。

しかたがないので みぢかなところで だいたいあん
「スペインざかで ジェラートをしょくす」
これです。
しぶやの スペインざかで ジェラートを たべるのも わりとオシャレな かんじがします。
あの せまく ひとどおりのおおい かいだんで たべられるかは なぞですが。

さっそく しぶやの スペインざかきんこうで ジェラートうってるみせ しらべたら
ゆいいつ うってたっぽい とうきゅうフードショーのPARIYAは
リニューアルで ジェラート やめてしまったみたい。
ざんねんきわまりない。
ジェラートのおみせ まわりに みつからなかったので
こちらも ぎゅうにゅうなまアイスで ゆうめいな Shiroichiの アイスで かわりとします。
ふんいき ジェラートっぽいって いってたので ちょうどいいかも。
もうローマでも ジェラートでも なくなってしまいましたが
スペインざかで たべるアイスは きっと おいしいはず。
ねこは くろみつまっちゃで おねがいします。

あの子の殺人計画

夕焼けで、赤く見えるだけだから

「昨日、あたしの代わりに翔太が教室を掃除してくれたんだよね。ありがとう」
「……椎名が帰っちゃったのは、俺の言い方が悪かったせいだから」
 薄闇に覆われてはいたけれど、翔太の頰がほんのり赤く染まったように見えた。あたしがそれを確かめようとしていることに気づくと、翔太はいままでで一番ぶっきらぼうな口調で言う。
「夕焼けで、赤く見えるだけだから」
「もう夕焼けなんて終わってるよ。もしかして、照れてる?」
「少し」
 あたしが思わず笑うと、翔太の口許も少しだけ緩んだ。
 同い年の子とこんな風に笑い合うのは、たぶん初めてだ。

天祢涼.あの子の殺人計画(文春文庫)

ねこです。

あきになると あかとんぼって イメージですが、
さいきん きづけば あかとんぼ みないです。
なつの あつさが いじょうにつづく さっこん、
あきが みじかくなったからなのかもしれません。

ねこは あかとんぼは ゆうやけに てらされて あかいのだと おもってました。
ねこしらべによると あかとんぼは ゆうやけじゃなくても あかいみたい。
あと あかいからといって とくに 3ばい はやいわけでも ないらしいです。
あかとんぼについて ちょっと くわしくなりました。

ねこは ゆうやけをみると ちょっぴり なみだが でてきます。
あかい ゆうひが まぶしいからでは なさそうです。
なんとなく おもいだせそうで おもいだせない、
きおくの おくそこに ひっかかる なにかが あるのかもしれません。

おもいだせないのは ざんねんですが、
これからも ねこは つよく いきていきたいです。

眠れない夜は羊を探して

だからどんな物語も途中で閉じちゃうのはもったいないよ

「最近はどんな本を読んでるの?」
 さすがに心中について調べていたことは隠しておいたほうがいい気がする。僕は近くの本棚にあったものを読んでいると答えてごまかすことにした。
「あ、それ私も昔読んだことある。ちょっと怖い話だよね。でもぜひ最後まで読んでみてほしいな。きっと好きになれるから」
 司書さんは棚に並ぶ本の背表紙を指でなでる。
「本って最後まで読まないと、どうなるのかわからないのが良いところだよね。離ればなれになった王子様とお姫様は、最後には奇跡的に結ばれるのかもしれない。悪い王様も改心するかもしれないし、仲間はずれの魔女には友達ができるかも」
「でも、ハッピーエンドになるとは限らないよ」
「それも最後まで読まないとわからないと思わない?たとえ怖い展開や、つらい出来事が続いたとしても、大逆転でハッピーエンドになるかもしれない。だからどんな物語も途中で閉じちゃうのはもったいないよ」
 司書さんの言葉は、たしかにそのとおりだと思う。物語の続きがどうなるのかは、ページをめくってみるまでわからない。
 そんな簡単なことに、今まで気づかなかった。

遠野海人.眠れない夜は羊を探して(メディアワークス文庫)

ねこです。

ゲームセットまで なにがおこるか わからない。
つまり いま じゅんちょうでも このさき どうなるか わからない。
ぎゃくに いまは ふこうでも きせきの だいぎゃくてんが あるかもってこと。
ものがたりは さいごまで よむべきなのです。

シンデレラだって かぼちゃのばしゃが でてきてから うんめいが うごきだすし
みにくいアヒルのこだって みずべに たどりついて しんじつに きづきますし
シティハンターだって Foot stepsが ながれると けいせいぎゃくてん。

やっぱり さいごまで あきらめちゃ いけないのです。

シュレディンガーのネコも さいごまで あきらめちゃいけません。
なかの ネコが どうなっているかなんて ねこにも わからないのです。
もしかしたら きせきの だいぎゃくてんが おこる かのうせいを しんじて
はこを あけてみたいと おもいます。