月別アーカイブ: 2023年3月

鍵のない夢を見る

夢見る力は、才能なのだ。

 どうしてだろう。
 私には、もう何にも、清潔なものも、きれいなものも、憧れていたものは二度と手に入らない気がする。何も選べない気がする。
 夢見る力は、才能なのだ。
 夢を見るのは、無条件に正しさを信じることができる者だけに許された特権だ。疑いなく、正しさを信じること。その正しさを自分に強いることだ。
 それは水槽の中でしか生きられない、観賞魚のような生き方だ。だけどもう、私にはきれいな水を望むことができない。これから先に手に入れる水はきっと、どんなに微量であっても泥を含んでいる気がした。息が詰まっても、私はそれを飲んで生きていくしか、ない。

辻村深月.鍵のない夢を見る(文春文庫)

ねこです。

なにも しらない から こそ ゆめ は みられる って きいた こと が あります。
そして その ゆめ へ の みち を しらべて その みち の けわしさ を しって
なお その みち を すすむ もの こそ ゆめ を かなえられる とも。

ねこ の ゆめ は にんじゃ に なる こと ですが
ひび しゅぎょう がんばって ます。

おねいさん が うえた ピーマン の なえぎ を みょんみょん と とびこえたり
おねいさん が おとす かぎ や スプーン の おと を ききわけたり
おねいさん が なげる ちくわ を すばやく てつアレイ を さけながら とったり

にんじゃ の みち は けわしい けど いつか なれると しんじて います。
にんじゃ に なったら まさむね と えんげつりん そうび するのです!
ねこ ってば さいきょー!

コンビニ人間

こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。

 特に喋り方に関しては身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが私の喋り方になっている。
 大抵のひとはそうなのではないかと、私は思っている。前に菅原さんのバンド仲間がお店に顔を出したときは、女の子たちは菅原さんと同じような服装と喋り方だったし、佐々木さんは泉さんが入ってきてから、「お疲れさまです!」の言い方が泉さんとそっくりになっていた。泉さんと前の店で仲が良かったという主婦の女性がヘルプに来たときは、服装があまりに泉さんと似ているので間違えそうになったくらいだ。私の喋り方も、誰かに伝染しているいるのかもしれない。こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。

村田沙耶香.コンビニ人間(文春文庫)

ねこです。

しゃべりかた だったり はなしことば だったり
しょぞく する グループ に よって かわって いきます。

おねいさん が こうこう の ころ アルバイト を していた ぼう ハンバーガーショップ では
マネージャ さん の くちぐせ が くせ が ありすぎて だいりゅうこう。
でんわ を かける とき「もしもし」 では なく「もっしもっし」って いうのが おやくそく。
マネ―ジャ さん の くちぐせ が「もすもす」じゃ なくて よかった です。
そのへん ひじょうに センシティブ で あやうい ところ。

しゃかいじん に なって から は かいしゃ の おじさん たち の えいきょう も あって
「エイヤ」とか「ガッチャンコ」とか「ほぼほぼ」とか
さいきん わだい の おっさんビジネスようご を ふつー に つかい すぎ。
そして わかい こ たち に つうじない かなしい げんじつ。

ねこ も おっさんビジネスようご つかう とき は まわり きょろきょろ しながら つかって いきたい です。

Iの悲劇

万願寺さん。実は宇宙人はもう地球に来ているんですよ

「ガソリンに鉛が入っていたのは昔の話だよ。いまは入ってない」
「え、そうなんですか」
「鉛添加が禁止になったのはもう何十年も前、俺が生まれる前の話だぞ。もちろん河崎さんだって生まれてなかった。ガソリンで鉛中毒なんて、そんな話をどこで仕入れたのか不思議なぐらいだよ」
 観山は首を傾けた。
「教えてあげればいいのに」
 ああ!知らないことを教えてすべてが解決するなら、市職員はなんと楽な仕事になるだろう。
「教えたよ」
「どうなりました?」
「全部のガソリンに一切鉛が入っていないと言い切れない以上は、入ってると考えるのが当たり前だって言われた」
「ははあ」
 道が大きなカーブに差しかかり、観山が体を突っ張って慣性に耐える。曲がりきって道が真っ直ぐになったところで、つまらなそうに言われた。
「万願寺さん。実は宇宙人はもう地球に来ているんですよ」
 軽薄なところはあるが、観山は頭の回転が速い。
「来ていないとは言い切れないからな」
「ですね」
 冗談を交わしたはずなのに、二人とも、にこりともしなかった。
 疲れているのだ。

米澤穂信.Iの悲劇(文春文庫)

ねこです。

うちゅうじん は います。
あかくて むにょむにょ していて きゅーばん で はりつく あれです。
あかい から きっと かせい から きた かせいじん です。

でも ここ にほん では つかまえられて たこやき に されます。
たこやき は おいしい です
やきシリーズ の なか では たいやき の つぎ くらい に おいしい です。
たこやき に される なかま を たすけに きたものの
つかまって たこやき に される たこループ。

ちきゅう に ほか の うちゅうじん が しんりゃく してこない のは
かせいじん が「ちきゅうじん まじ やばい」って じょうほう を
うちゅうじゅう に はいしん しているから かも。

もうちょっと たこやき たべて うちゅうじん びびらせて おきたい ところ です。