月別アーカイブ: 2023年9月

レモンと殺人鬼

約束、という言葉を進んで使った時、胸がきゅっとした。

「僕はここから見ているだけでいい。それだけで十分に勉強になる」
「そうなの?」
「ああ」
 耳まで赤くなっている。恥ずかしがり屋のようだ。
「料理人が店を持つには経営手腕も大切だ。店構えとか客の出入りとか見ているだけで意味があるんだよ。だから、君のお父さんにも言わないでほしい」
 自分から言い出したことなのに、彼に断られて私はほっとした。何となく、父を含めた家族に彼を見せたくないような気がしてきたのだ。
「わかった。約束する」
 私は小声で言った。約束、という言葉を進んで使った時、胸がきゅっとした。

くわがきあゆ.レモンと殺人鬼(宝島社文庫)

ねこです。

さよなら は わかれ の ことば じゃなくて
ふたたび あう までの とおい やくそく
って やくしまるさん も いってました。

がっこう で まいにち さようなら を いうのは
つぎのひ あう までの やくそく を している ってこと?

こども に とって ほうかご から あさ の とうこう まで
とおい とおい ながい じかん です。

どにち なんて はさんだら それは もう
にどと あえない かも くらい の ながさ。

ちょっと いいすぎ ました。

ところで おとな に なると かえる とき
さよなら じゃ なくて おつかれー って いいます。
なので つぎのひ くるとは かぎらない かのうせい が あります。

もしかして これって ざいたくきんむ じだい ならでは?

……よくかんがえたら ずっとまえから つかわれてました。
ねこ の こうさつ しっぱい。

推し、燃ゆ

午後、電車の座席に座っている人たちがどこか吞気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。

 学校へ行っていた頃、あたしは推しの音楽を聴きながら登校していた。駅へ向かいながら、余裕のある日はゆるいバラード、いそぐ日はアップテンポの新曲を流して歩いた。曲の速さで駅に着くまでの時間がまるっきり変わってくる、歩幅やら、足を運ぶリズムがその曲に支配される。
 自分で自分を支配するのには気力がいる。電車やエスカレーターに乗るようように歌に乗っかって移動させられたほうがずっと楽。午後、電車の座席に座っている人たちがどこか吞気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。自分から動かなくたって自分はちゃんと動いているっていう安堵、だから心やすらかに携帯いじったり、寝たり、できる。何かの待合室だってそう、日差しすら冷たい部屋でコートを着込んで何かを「待っている」という事実は、時々、それだけでほっとできるようなあたたかさをともなう。あれがもし自分の家のソファだったら、自分の体温とにおいの染みた毛布の中だったなら、ゲームしてもうたた寝しても、日が翳っていくのにかかった時間のぶんだけ心のなかに黒っぽい焦りがつのっていく。何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。

宇佐見りん.推し、燃ゆ(河出文庫)

ねこです。

あさ の つうきんでんしゃ は くうき が どんより。
つうきんラッシュ が すぎる と とたん に くうき が かわります。
おねいさん は ごご の のどかな でんしゃ も すき だけど
つうきんラッシュ の あと の ひにちじょう っぽい でんしゃ も すき なんだって。
あかい でんしゃ に のって みうらはんとう の さき の さき へ いきたくなる。
そんな きぶん。
つうきん と ちがって いかなければならない ばしょ ではない ってところが
ポイント なのかも。
とくに なにも せず ただ でんしゃ に のってる だけ でも いいみたい。

ねこ は つうきん したこと ないけど もし つうきん する ひ が きたら
たまには あかい でんしゃ に のって ひにちじょう あじわいたい です。

復讐は合法的に

復讐はどこまで行っても、単なる自己満足よ。

「……そうね。確かにアタシも、数え切れないほどの人を不幸にしてきた。そういう意味では、アンタと同類かもしれない」
 そう。弁護士バッジを片手に「合法復讐屋」なんて始めた時から、わかっていた。
 自分が復讐の片棒を担ぐ先で、必ず苦しむ人が生まれる。
 終わらない悲劇の連鎖を生み出す側に、自分は回るのだと。
 とうの昔に通り過ぎたはずの葛藤を懐かしむように笑うと、エリスは顔を上げた。
「でも、覚えておきなさい。『正義の復讐』なんて、どこにも存在しない。復讐はどこまで行っても、単なる自己満足よ。いつか自分にその矛先が向いたとしても、甘んじて受け入れなければならない」
 そう。法の壁を越えようとする者は、いつか必ず撃ち落とされる。壁は正義も悪もなく──助けを求める者を杓子定規に阻むだけ。
 だからこそ、自分は決めたのだ。「知恵」の翼を使い、自ら壁を越えることを。
 正義でも悪でもない──「不和と争いの女神」として。

三日市零.復讐は合法的に(宝島社文庫)

ねこです。

ふくしゅう は じこまんぞく。
ふくしゅう する とき って だいたい ふくしゅう じたい が もくてき。
なので ふくしゅう たっせい すると まんぞく できる って ききました。

がっこう の せんせい は よく
「いいかぁー よしゅう は しなくて いいから ふくしゅう しっかり やっておけよー」
って いってました。
じこまんぞく で ありながら しっかり やっておくべき ふくしゅう。
おねいさん は ふまじめ せいと だったので ふくしゅう しっかり やってませんでした。
つまり じこまんぞく してない!
もしかしたら ほか で じこまんぞく していたから ふくしゅう してなかったのかも。

おもえば がくせいじだい って じこまんぞく の くりかえし。
おとな に なると なかなか じこまんぞく だけでは くらして いけないので
がくせい だけ の とっけん なのかも しれません。
なんか ふくしゅう ちがいっぽいですが じこまんぞく に つながるので あるいみ にたものどうしかも。