月別アーカイブ: 2024年12月

理由あって冬に出る

怪談や都市伝説なんてものは人のちょっとした悪意とか色気の集合体に過ぎないと思ってる

「ただ僕が思うに、対処法なんていうものは最初からあったわけじゃないだろう。話が広まるうちに後で付け加えられるのが普通だろうね」
「尾鰭がつく、っていうことですか」
「少し違うけど、まあそんなものだね。怪談がある程度、噂として広まった状態を想定しよう。そうなると、新しく口コミに参加する人は、同じ話を繰り返すのが嫌になる。僕みたいなひねくれ者が出てくるわけだ」
「いえ、べつにそんな」
「あるいは、口裂け女の話を一度、友人にした人間がいるとする。彼乃至彼女は勿論、また同じ相手に同じ話を繰り返すわけにはいかない。でも周囲は、自分がした話で盛り上がっている。そこでもう一度『口裂け女って、床屋に逃げ込めば追ってこないらしいよ』と言って注目を集めたいと思うのは、自然な心理だと思うけどね」
「……付け加えられたのは、立花さんの部分だけじゃない……?」
「そう。ついでに言うと、怪談のこの属性は、特定の話がある程度人口に膾炙してからでないと現れない。……つまり、僕や君が聞いた時点で、壁男の話もある程度広まっていたというわけだね」
 なんとなく怖さが減った気がする。伊神さんがこの手の話を怖がらないのも、こんなふうにいろいろと分析する癖があるからなのかもしれない。
「ま、僕個人としては、怪談や都市伝説なんてものは人のちょっとした悪意とか色気の集合体に過ぎないと思ってる。誰にでもあるちょっとした……たとえば目立ちたい、とか、知ったかぶりたい、とか、他人を怖がらせてやろう、といった感情が集まって、綿埃みたいに形をとったものだ、とね」

似鳥鶏.理由(わけ)あって冬に出る市立高校シリーズ(創元推理文庫)

ねこです。

おねいさんが こどものころも いろいろな としでんせつが ありました。
そのなかで「むらさきかがみ」って いうのが ありました。
「むらさきかがみ」って ことばを 20さいに なるまで おぼえていると
しんじゃうとか なんとか。

4がつ うまれのこが きょうふに おののいていたり
だれも わだいに しなくなったころに きゅうに「むらさきかがみ」を
でんぱさせる わるいこが いたり
それはそれは こどもたちにとって あしたの てんきようほう いじょうに
しんじられて いたものでした。

そんななか あらたな としでんせつ とうらい。
「まっくろかがみ」って ことばを 20さいに なるまで おぼえていると
びじんに なれる すごい としでんせつ。

おねいさんの まわりの じょしたちも こぞって この「まっくろかがみ」
おぼえていようと しましたが
「まっくろかがみ」をおぼえていると とうぜんのごとく「むらさきかがみ」も
おもいだしてしまうので もろはのつるぎ。
びじんに なっても しぬ うんめい。

もしや びじんはくめいって そういうことなのでは?とおもわせる セットっぷり。

とうぜんのごとく「むらさきかがみ」を 20さいに なるまで おぼえていても
しんだりなんかしてないんですが
「まっくろかがみ」を 20さいに なるまで おぼえていても びじんには なれていません。
ひじょうに ざんねん。

びじんに なるための としでんせつ なにかしってたら おしえてください。

君の顔では泣けない

でもきっとその時には既に予感があったように思う。高校という枠組みから外に出てしまえば、もう今まで通りにはいかないのだという予感が。

 決して良い高校生活とは言えなかった。思い描いていたものとはもちろん全く違っていたし、瑞々しさのない乾燥した日常で青春を浪費してしまった。楽しげに笑う同級生達の横で、楽しくなくても満たされていなくてもいいから、ただ静かに今が終わればいいと、眠くもないのに机に突っ伏していた。
 ラーメンを勢いよくすする水村と田崎をぼんやりと眺める。そんな日々の中でも、この二人と一緒にいるときだけは楽しかった。事情を共有する水村はさておき、田崎も俺に親しく接してくれた。かつて一緒にふざけあった時と何ら変わらない屈託のない笑顔。いろんなものを次々に手放していってしまうような日々の中で、田崎は最後まで俺の友人としていてくれた。
「二人のお陰で、楽しかったなあ」
 思わず呟いていた。なんだよ急に、と水村が笑う。
「いやなんか急にふと思っちゃって。二人は私の人生の中の超重要人物だよ」
「よく言うよ。二人とも俺を置いて東京行っちゃうくせに」
 餃子を頰張った口で田崎が拗ねてみせる。田崎は実家の酒屋を継ぐべく、卒業してすぐに家業に専念するのだと言っていた。
「まあそうすねるなって。盆正月には帰ってくるからさ」
「うん。そのときにはまた三人で遊ぼう」
 水村と俺がそう励ますと、にかっと笑って「都会の遊び方教えろよな」とおどける。
 でもきっとその時には既に予感があったように思う。高校という枠組みから外に出てしまえば、もう今まで通りにはいかないのだという予感が。誰も口には出さないだけで、おそらくみんなそう思っていただろう。

君嶋彼方.君の顔では泣けない(角川文庫)

ねこです。

こうこうって しょうがくせいの えんちょうにある ちゅうがくせいと ちがって
こうどうはんいも できることも こうゆうはんいも ぐっと ひろがって
でも まだ じもといしきは あったりして
たまには ちゅうがくじだいの ともだちとも あそぶことも あります。

でも こうこうを そつぎょうすると みんな しんろ バラバラで
じもとの ともだちなんかも じっか でたり
いろいろ せいかつが かわってきます。

かんきょうが かわりすぎて ズレが でてくるなんて
こうこうじだいには ピンと こないのも しかたないけど
かくじつに やってきます。

おざわけんじさんの うたで
「ほんとうは わかってる にどと もどらない うつくしいひに いると
そして しずかに こころは はなれていくと」
って ありましたが、まさに それです。

そつぎょうが ちかづくにつれ「あ、これって もう にどと ないんだ」
って みょうに かんしょうてきに なったり ならなかったり。

それくらい こうこうじだいって とくべつなんだよ
って おねいさんは ねこに いいきかせますが
ねこの せかいに こうこうじだいは ないので
しょーじき よくわかりませんのだ。