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推し、燃ゆ

午後、電車の座席に座っている人たちがどこか吞気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。

 学校へ行っていた頃、あたしは推しの音楽を聴きながら登校していた。駅へ向かいながら、余裕のある日はゆるいバラード、いそぐ日はアップテンポの新曲を流して歩いた。曲の速さで駅に着くまでの時間がまるっきり変わってくる、歩幅やら、足を運ぶリズムがその曲に支配される。
 自分で自分を支配するのには気力がいる。電車やエスカレーターに乗るようように歌に乗っかって移動させられたほうがずっと楽。午後、電車の座席に座っている人たちがどこか吞気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。自分から動かなくたって自分はちゃんと動いているっていう安堵、だから心やすらかに携帯いじったり、寝たり、できる。何かの待合室だってそう、日差しすら冷たい部屋でコートを着込んで何かを「待っている」という事実は、時々、それだけでほっとできるようなあたたかさをともなう。あれがもし自分の家のソファだったら、自分の体温とにおいの染みた毛布の中だったなら、ゲームしてもうたた寝しても、日が翳っていくのにかかった時間のぶんだけ心のなかに黒っぽい焦りがつのっていく。何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。

宇佐見りん.推し、燃ゆ(河出文庫)

ねこです。

あさ の つうきんでんしゃ は くうき が どんより。
つうきんラッシュ が すぎる と とたん に くうき が かわります。
おねいさん は ごご の のどかな でんしゃ も すき だけど
つうきんラッシュ の あと の ひにちじょう っぽい でんしゃ も すき なんだって。
あかい でんしゃ に のって みうらはんとう の さき の さき へ いきたくなる。
そんな きぶん。
つうきん と ちがって いかなければならない ばしょ ではない ってところが
ポイント なのかも。
とくに なにも せず ただ でんしゃ に のってる だけ でも いいみたい。

ねこ は つうきん したこと ないけど もし つうきん する ひ が きたら
たまには あかい でんしゃ に のって ひにちじょう あじわいたい です。