ラッシュライフ

でもな、人生については誰もがアマチュアなんだよ。

「私は人生に失敗した」佐々岡が繰り返した。様々なことを思い返して、佐々岡は結論に至ったのかもしれない。ソファにうなだれて、臼を背負ったまま生きていくいくような顔になっていた。「人に裏切られた。借金を背負った。私の人生は失敗したんだ。実は何をどうしていいのか分からないんだ」
「ラッシュライフという曲を知っているか?」黒澤が言う。
「いや」
「Lushは酔払いという意味で、飲んだくれのやけっぱち人生ということらしい。おまえに必要なのはむしろ、そういった開き直った生き方かもしれないな」
「私は酒は飲めないし、やけも起こせない」
「そんな深刻に答えるなよ」と黒澤は苦笑する。「もっと気楽に構えろよ。魚に身を預けて、のんびりと」
 それでも佐々岡は、難しい顔をしている。
「俺はさっき泥棒のプロフェッショナルだと言ったよな」
「確かに」
「でもな、人生については誰もがアマチュアなんだよ。そうだろ?」
 佐々岡はその言葉に目を見開いた。
「誰だって初参加なんだ。人生にプロフェッショナルがいるわけがない。まあ、時には自分が人生のプロであるかのような知った顔をした奴もいるがね、とにかく実際には全員がアマチュアで、新人だ」

伊坂幸太郎.ラッシュライフ(新潮文庫)

ねこです。

じんせいって いうのは いちどきり なんだって。
だから いつでも ニューゲーム。
ネコ の せかい は 100まんかい も いきる ネコ も いるくらいなので
わりと つよくて ニューゲーム。

でも かいぬし の おん を みっか で わすれるとか いわれる くらいの あたま なので
どこまで が いま の きおく か むかし の きおく か わからないの。
それって いみ なくない?

なので ねこ は あんまり きにしないで いきていくよ!
おねいさんとの おもいで が あれば ほか に なにも いりませんのだ。

さようなら、コタツ

会って「変わらない」と確認しあうのは、思い出が変形せずに温存されていることの確認に過ぎない。

 最後に会ってから、四年も経っている。あのときもたしか、一時帰国しているから会おうと連絡があって、食事をしたのだった。
 会ったからといって、何が起こるということもない。食事をして、あのころはどうだったとか、あの人はまだ元気でいるのとか、ボストンの生活はどうとか、そんな会話をして、「変わんないねー」と言葉をかけあって別れた。
 もちろん、変わらないなどというはずはない。二人とも人生上の変化を経ているいるのはたしかなのだ。会って「変わらない」と確認しあうのは、思い出が変形せずに温存されていることの確認に過ぎない。

中島京子.さようなら、コタツ(集英社文庫)

ねこです。

すうねんぶり に あう ともだちって はなしたいこと いっぱい なのに
いつのまにか むかしばなし ばっかり に なってること おおいよね。
そして そっちのほうが いがいと もりあがったりします。
おねいさん も ひさしぶり の ともだち と のみにいくと
さいしょ に トイレ に たったとき
「あれ?まだ 8じ30ふんかー。のみはじめて 1じかん しか たってないじゃん」
って なるのに つぎに トイレ に たったときは
「ええ!?11じ30ふん!?さっき の トイレ から もう 3じかん たったの!?」
って なるので ふしぎ。
あれって ぜったい むかしばなしのせいで じくう ゆがんでる と おもうよ。

参加型猫

大人にさえなればどこにでも行けて何でもできるような、そんな壮大な万能感を抱えていた。

「そういえばさ、遠足の弁当には、必ず厚焼き卵が入ってたなあ」と言うと、
「へえ。私はいっつも水筒にカルピス入れて持っていってたなあ」と沙可奈が言った。
「え?カルピス?そんなの持ってってよかったの?」
「ううん。もちろん、駄目だったの。見つかったら、先生に叱られちゃうんだけど、どうせばれっこないじゃない?だいたいさ、何でカルピス持ってくのがいけないのよねえ?山や高原を歩いていたらエネルギーを消耗するから、うーんと甘い飲み物で血糖値上げなくちゃやってられないじゃない?」
「まあ、そうとも言えるよね」
「ただモンダイはカルピスだけ飲んでると、さらに喉が渇いちゃうってことだったな。だから、他の子が持ってきたお茶や水と交換したりもしてた。皆、カルピスを飲みたがるものだから、私、遠足ではいつもちょっとしたスターだったのよ。そんなにカルピスが好きなんだったら、自分で持ってくればいいのに。何だかんだいっても、皆、気が小さいのよね」
「ふぅん」
 そう言われてみると、勘吉もカルピスが飲みたくても自分では持っていけないタイプの子供だったような気がする。あの頃は今よりずっとからだも小さくて、自分より遥かに大きく見える先生が怖くて、行動範囲が恐ろしく限られていて、自分の自由になる金銭も少なく、遠足ごときで興奮できて、日々の時間の流れがじれったいほど遅く、ひとりでは何もできないのだという救いのない無力感を常に常に覚えていたと同時に、大人にさえなればどこにでも行けて何でもできるような、そんな壮大な万能感を抱えていた。世界の肌触りは確かに今とはまるっきり違っていた。どちらがいいということでもないけれど、やはり大人になって少しは生きるのが楽になったろうか。

野中柊.参加型猫(角川文庫)

ねこです。

おねいさん も こども の ころ は ずんずん あるいて いっても となりまち だったり
みんな で じ てんしゃ で はんにち かけて がんばっても 4つさき の まち だったり
がんばっても たいして すすめません。
こどもって おもってる いじょう に いがい と むりょく です。
おとな に なったら せかいは ひろがる
そう おもって いたけれど
おねいさん は いきつけ の おしゃれなバー とか かくれがてきな きっさてん とか
ぜんぜん ありません。
そういうの あると ちょっと かっこいいよね。
いつか いきつけ の おしゃれなバー とか つくりたいものです。