さようなら、コタツ

会って「変わらない」と確認しあうのは、思い出が変形せずに温存されていることの確認に過ぎない。

 最後に会ってから、四年も経っている。あのときもたしか、一時帰国しているから会おうと連絡があって、食事をしたのだった。
 会ったからといって、何が起こるということもない。食事をして、あのころはどうだったとか、あの人はまだ元気でいるのとか、ボストンの生活はどうとか、そんな会話をして、「変わんないねー」と言葉をかけあって別れた。
 もちろん、変わらないなどというはずはない。二人とも人生上の変化を経ているいるのはたしかなのだ。会って「変わらない」と確認しあうのは、思い出が変形せずに温存されていることの確認に過ぎない。

中島京子.さようなら、コタツ(集英社文庫)

ねこです。

すうねんぶり に あう ともだちって はなしたいこと いっぱい なのに
いつのまにか むかしばなし ばっかり に なってること おおいよね。
そして そっちのほうが いがいと もりあがったりします。
おねいさん も ひさしぶり の ともだち と のみにいくと
さいしょ に トイレ に たったとき
「あれ?まだ 8じ30ふんかー。のみはじめて 1じかん しか たってないじゃん」
って なるのに つぎに トイレ に たったときは
「ええ!?11じ30ふん!?さっき の トイレ から もう 3じかん たったの!?」
って なるので ふしぎ。
あれって ぜったい むかしばなしのせいで じくう ゆがんでる と おもうよ。

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