きつい思いをした後に誰かが迎えに来てくれるのは嬉しいものだ
「……まあ、来るとは思います」
米澤穂信.いまさら翼といわれても「古典部」シリーズ(角川文庫)
毒気を抜かれたように、横手さんはぽかんとした顔つきになった。
「ではなぜ、捜しに行くなどと言うのですか」
知れたことを。
「きついでしょうから」
「きつい?」
「わかりませんか」
跡取りがどうのこうのという話はわからないが、あいつの責任感が強いことは俺も知っている。その千反田がいったん乗ったバスを降りて姿を消したというなら、そこにはなにかよほどの理由があるはずだ。その理由を、俺は「気の迷い」とは表現したくない。
確かに横手さんの言うとおり、あいつは必ず出番に間に合うように現われるだろう。しかしそれは、真っ白な顔で姿を消すだけの理由を、責任感でねじ伏せようと格闘し続けた結果なのだ。逃げ出したい、だけど行かなくては、行かなくてはと自分に言い聞かせて。──きつくないわけがない。
きつい思いをした後に誰かが迎えに来てくれるのは嬉しいものだ。だったら行ってやるのは、あながち、やらなくてもいいこととは言えないだろう。
ねこです。
きつい おもいを したあとに むかえに きてくれるの うれしい、
ちょっと わかります。
なんかこう きもちの メーターが 0になりつつあるときに
むかえに きてもらうことで ぐんと 80くらいまで かいふくする
そんな イメージ。
おむかえって そのために あるといっても かごんではないです。
ねこも パトロールで あまりに とおくに きてしまったときに
へとへとだし さみしいし あまりに きついので
ぜひとも おねいさんに むかえにきて もらいたいものです。
ところで「おむかえ」って「おむすび」っぽくない?
なにか かんけーある?