投稿者「fujimineco」のアーカイブ

不気味で素朴な囲われた世界

ドラムってステージの上でひとりだけ座ってて、楽そうじゃん

「弔士くんギタリストになりなよ!お姉ちゃんはドラミストになるからさ!」
「…………」
 リボンつきの黄色くて優秀な、メロンパン好きの猫型妹ロボットの熱狂的なファンになるという意味だろうか?
 そんなわけがない。
「こぐ姉、それをいうならドラマーです」
「え?ああそうだっけ。しまったしまった、英国訛りが出ちゃったよ」
 小学生の頃イギリスに留学していた帰国子女という脳内設定を持つ姉である。弟のぼくはそれが噓だと知っている。
「そんなふざけたことを言ってないで。間違ったんだから、ちゃんと謝ってください」
 正式な謝罪を要求した。
「え……、あ、ごめんなさい……ドラマーをドラミストなんて言ってごめんなさい……ていうか英国にごめんなさい……」
 戸惑いながらも、国レベルで謝るこぐ姉。
 姉でなければ萌えているところだった。
「許してあげましょう」
 英国にかわって許してあげる、寛大なぼくだった。
「そうだよね。ドラミストだったら、『すごい霧』みたいな意味になっちゃうよね。あ、でもそれってロンドンっぽい?」
「ですから『どら』などという方言はありません」
「ふうん」
「でも、こぐ姉、ドラムなんて叩けるんですか?」
「ううん?叩けないよ?でもほら、ドラムってステージの上でひとりだけ座ってて、楽そうじゃん」
「………………っ!」
 衝撃の理由だった。
 そんな思想を持つ人間とバンドは組みたくない。

西尾維新.不気味で素朴な囲われた世界(講談社ノベルス)

ねこです。

こども の ころ キーパー とキャッチャー は ふとってる ひと の ていいち でした。
キーパー は はしりまわらないし キャッチャー は すわって いるし
なんとなく イメージ で きめられてたのかも。

そして ドラム も ふとってる ひと の イメージ が ありました。
いや それは「ゆれて ゆれて」の ひと の イメージ。
あと ドラム の ひと は ランニングシャツ きている イメージ も ありました。
これは きっと「きょう じんるい が はじめて もくせい に ついた」ひと の イメージ。
ほかにも ドラム の ひと は「かんじんなとき に いない」イメージもあります。
たぶん「このひと が ドラム」の ひと の イメージ。
ねこ なにか いろいろ かんちがい してるかも。

しょーじき さっき あげた ひとたち みても やっぱり ドラム たたける ひと かっこいい。
ねこ も ちょうせん したい けど
ドラム は たくさん たいこ ついてて ネコのて も かりたいくらい いそがしい。
ちょっと ねこ には むりっぽい。
しかたないので ねこ は ドラ たたく くらい に しておきます。
ほら ドラネコ って いいますし。

きみとぼくの壊れた世界

……噓をつくのは簡単だ。噓をつき続けるのが、難しいんだよ。好きなものを、好きでい続けるのが難しいのと同じでね。

「……噓をつくのは簡単だ。噓をつき続けるのが、難しいんだよ。好きなものを、好きでい続けるのが難しいのと同じでね。それは、そういうものなんだ」
「名言だね。うん……そうなんだよね。なんていうかね、みんなに噓をつかなくちゃいけなくって……家族にも友達にも、大好きなきみにも、噓をつかなくちゃいけなくって、噓をついてるのに笑わなくちゃいけなくって、噓をついてるのに笑いかけてもらえたりして、それって、世界に対して噓をついてるみたいな、そんな感じでね。そんな感じ。自分は、誰にも、受け入れてもらえないんだなって、そんな感想でしたとさ」

西尾維新.きみとぼくの壊れた世界(講談社ノベルス)

ねこです。

うそ を つく と その うそ を かためる ために さらに うそ を つく ひつよう が ある と いいます。
その けっか うそ を つきつづけていると だんだん くるしくなってきます。
その むかし エビチリ を うみだした ちんけんみんさん は いってました
「わたし の ちゅうかりょうり すこし うそ ある」と。
でも それは おいしい うそ なので だれも きず つけてません。

よく かんがえたら ほかにも たいやき は たい やいてないし
カップやきそば は そば やいてません。
でも おいしい ので これも おいしい うそ なのかな?
おいしい うそなら だいかんげいです!

ちなみに おねいさん は エビチリ より エビマヨは です。

傲慢と善良

何かがあった時に、まだ若いんだからって、自分より年上の人たちから言われるの、私も嫌だった。

「西澤さんは?」
「私も東京です」
 こういう時、今の住所はもう東京なのに、それでも群馬だと答えそうになる。もう三年以上になるのに、東京に住んでいる、という感覚に、まだ全然なれない。
「あら、そうなの。同じだね」
 早苗が穏やかな口調で微笑んで言うが、それきり、東京のどこなのか、というところまではお互いに聞かない。聞けない雰囲気がある。
 では、彼女たち親子は被災してここにきた、というわけではないのだ。本当は自分たちについてはあまり聞かれたくなかったのではないか──と思ったら、自分の事情を、彼女にちゃんと明かさなければいけないような気持ちになった。自分だけ聞いたのでは、フェアじゃないような気がしたのだ。
「実は、結婚がダメになっちゃって」
 本当は、まだダメになったかどうかわからないけれど、あえてそう言うと、自分の言葉に、自分で少し、傷ついた。
 告げた言葉に、早苗が「まあ」と小さく息を吞んだ。
「だから、東京に、あまりいたくなかったんです」
「そうだったの。西澤さん、今、いくつ?」
「三十五です」
「まだ若いじゃない。大丈夫よ──って言いたいけど、そんなふうに言われるのも、今はきっと嫌よね」
 早苗の顔を見つめると、彼女が「私も、嫌だったから」と肩を竦める。
「何かがあった時に、まだ若いんだからって、自分より年上の人たちから言われるの、私も嫌だった。そんなこと言う人にだけはならないようにしようって思ってたのに言っちゃった。ごめんね」
「早苗さんはおいくつなんですか?」

辻村深月.傲慢と善良(朝日文庫)

ねこです。

だいたい わかいうち は「まだ わかいんだから」って いっておけば いい と
としうえ の ひとたち は おもいがち。

こいびと と わかれて おちこんでる ときも
ゆめ やぶれて しょうらい まよってる ときも
おおざらりょうり が ちょいちょい のこってる ときも
「まだ わかいんだから」って いわれます。

これって なんさい まで いわれるのかな?
30さい に なっても 50さい の ひと に いわれそうだし
40さい に なっても 60さい の ひと に いわれそう。
つまり ずっと いわれるってこと!?
なんさい に なっても なにか を はじめるのに おそいってことは ないって いうけど
そういう こと なのかも しれません。

けつろん。
にんげん は いくつ に なっても まだ わかい。