ブラバン

「アホ。誰がやる言うた。貸すだけじゃ。死んだら返せ」

 さらに三十分も経ってから、ようやく辻さんが戻ってきた。ロビィに現れたその姿は、僕が見てきた彼の姿のうち最も神々しかったといえる。右の肩に革のストラップを引っ掛け、左手ではあの愛用のエレキベースのネックを支えていた。僕のなかの無邪気で短絡的な僕が、ほら、やっぱり弾けるんじゃないかと歓声をあげたほどだ。しかしベースのボディを抑えつけている右腕の先には、先刻までと変わらぬシャツの結び目があった。
「他片」テーブルの前に来た彼は、左手だけで軽々と楽器を捧げた。二十五年前の僕が、遠くから近くから、その水面を漂っているような鈍い輝きを見つめ続けた、継ぎ接ぎベースだ。「聞きゃあおまえ、楽器も無いいうじゃないか。俺の後輩が無様なことすな。はあケースも捨ててしもうたが、繫げば音は出るじゃろ。持ってけ」
 僕は起立し、かぶりを振った。「貰えません」
「アホ。誰がやる言うた。貸すだけじゃ。死んだら返せ」

津原泰水.ブラバン(新潮文庫)

ねこです。

「だれ が おまえ に やる と いった。かすだけだ」
って セリフ は しょうせつ に かぎらず ドラマ や まんが でも よく でてきます。
「しんだら かえせ」
の ぶぶんに てれ と せんぱいとしての いげん みたいな ものが みえかくれ していて フフフンって かんじ です。

そういえば ねこ は このまえ おねいさん から あたらしい くびわ を もらいました。
うれしくて よろこんで いたら
「だれ が ねこ に あげる と いったの?かすだけだよ」
と いわれました。
がーん。

でも くびわ を かえした あと おねいさん は あの くびわ を なにに つかうのか……
ねこは き に なって よる も ねむれません。

夕子ちゃんの近道

「長い名前の方が、やっきになって覚えたがるものさ」

 フラココ屋のメールアドレスは長い。furacoco-ya-yorozu-soroimasu。アットマークまでに二十八字もある。furacoco-yaだけで申請すればよかったと思うのだが、それでは目立たないと店長はいう。
「電話で苦情がきましたよ」何度うち直して送っても宛先不明の返信がくるって。
「駄衛門から?」店長の言い方には、どこかちょんまげの感じがあった。メールアドレスをうち間違えると宛先不明を知らせる返信があるのだが、その返信元の差出人名の欄にはかならず「MAILER-DAEMON」と書かれている。そんなはずないのだが僕も少し、ちょんまげを想像してしまう。
「でも、苦情ってその一件だけでしょう」名刺を配ったとき、長いアドレスはウケがいいのだと店長はメリットを主張した。僕も店長も店の奥にかがんで、段ボール段ボール箱から皿を出していた。皿はすべて新聞紙にくるまれている。
「長い名前の方が、やっきになって覚えたがるものさ」といって店長は手をとめ、寿限無を暗唱してみせた。
「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末……」店長はおしまいまでいわないと気がすまないという顔をしている。

長嶋有.夕子ちゃんの近道(講談社文庫)

ねこです。

おねいさん も ながい なまえ が だいすき です。

スリジャヤワルダナプラコッテ
きんちゅーならびにくげしょはっと
みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげんえき

ケータイ が なかった じだい は ともだち の でんわばんごう おぼえたり していたものですが
さいきん は めっきり そんなことも なくなりました。
なんでもかんでも スマートフォン に おぼえさせている おねいさん。
デジタルじだい の もうしごてき。

そんななか おねいさん も とし なのか スマートフォン に たよりきり だからか
ねんねん ものおぼえ が わるくなって きてます。
おぼえ が わるい どころか おぼえた ことも おもいだせない しまつ。

ほら あれ えーと……ぽくぽくぽくちーん
と いっきゅうさん が ひらめく じかん と ほぼ どうじ!

おそい!おそすぎます!
そのうち はるかな おぜ も ふゆ に ならないと おもいだせない ひ が くる。
そんな き が します。

絶対、最強の恋のうた

恋はスタンプカードのようなものだ、と私は思う。

「満月の夜、ぼらは跳ねるんだよ」
 彼はとても嬉しそうな表情で私を見た。月明かりの下、彼はとても嬉しそうな表情で私を見た。

 そのとき突然思ったのがスタンプカードのことだ。
 恋はスタンプカードのようなものだ、と私は思う。
 キスをして、好きだと思って、何かをわかり合って、優しい気持ちになって──。
 そんなことがある度に、私たちはスタンプを押す。一人で押すこともあるし、二人で押すこともある。スタンプが全て集まったら、次のカードをもらいにいこう。
いつまで続くのかな?密やかな気分で私は思う。このカードはいつか、かけがえのない何かと交換できる。そんな日がきっとくる。その日まで、私たちは小さな声で歌うのだ。

中村航.絶対、最強の恋のうた

ねこです。

おねいさん は ポイントカード の たぐい が すきです。
「ポイントカード おつくりしましょうか?」と とわれる と かんはつをいれず
「はい」と よい おへんじ を します。
たとえ ねん に 1かい しか こないような おみせでも つくって しまいます。
ふだん もちあるく ポイントカード の かずには げんかい が あるので
そういうのは ひきだし の おく に ねむってしまうのが おちです。
たいてい じかい いくときには もっていくのを わすれて もう1まい もらってくるのが おねいさん です。
そういうのも ぜんぶ ケータイ に とうろく できるように なる じだいは
あと なんねん まてば いいのかな?
おねいさん の ひきだし が うまる まえ に きてほしい です。

そのひまで ねこ は ちいさな こえ で うたいます。
CHAGE and ASKA の SAY YES の うたいだし を なんどもなんども ちいさな こえ で うたいます。