投稿者「fujimineco」のアーカイブ

木曜日にはココアを

今までいったい、何回こうやって一緒にごはんを食べましたかね。そしてあと何回、一緒にごはんを食べるのでしょうね。

ああ、そういえばピーが言っていたかもしれない。見かけはチョコレートに似ているけど、しょっぱい味の健康食品があるって。えーと、たしか、ベジマイトっていうのよ、それ。甘く見えるのにしょっぱいなんて、まるで人生よね。

 私ね、ごはんを食べている進一郎さんを見ると、なんだか安心した気持ちになるの。だって彼は、ほんとうになんでも大切に食べるのよ。どんなにつらいことがあっても、食べているときだけはほほえんでゆっくりと味わっているの。いろんな悩みがあるけど、毎日のごはんをありがたく食べているうちになんとかなる。そう思うと、私も少し、元気が出てくるの。
 今までいったい、何回こうやって一緒にごはんを食べましたかね。そしてあと何回、一緒にごはんを食べるのでしょうね。

青山美智子.木曜日にはココアを(宝島社文庫)

ねこです。

ごはん は ひとり で たべる より いっしょ に たべる ほう が おいしい の です。
おいしい もの を おいしい と いいあえる。
すてき な こと です。

ねこ は おねいさん と いっしょ に ごはん を たべる こと が ありますが
ざんねん な こと に おねいさん と たべる もの が ちがう の です。
ハンバーグ とか エビフライ とか しゅうまい とか ねこ には くれない。
もう おねいさん も この おいしい カリカリ たべれば いいのに!
この あじ が いいね と おねいさん が いった ひ を カリカリきねんび にするのに!

鍵のない夢を見る

夢見る力は、才能なのだ。

 どうしてだろう。
 私には、もう何にも、清潔なものも、きれいなものも、憧れていたものは二度と手に入らない気がする。何も選べない気がする。
 夢見る力は、才能なのだ。
 夢を見るのは、無条件に正しさを信じることができる者だけに許された特権だ。疑いなく、正しさを信じること。その正しさを自分に強いることだ。
 それは水槽の中でしか生きられない、観賞魚のような生き方だ。だけどもう、私にはきれいな水を望むことができない。これから先に手に入れる水はきっと、どんなに微量であっても泥を含んでいる気がした。息が詰まっても、私はそれを飲んで生きていくしか、ない。

辻村深月.鍵のない夢を見る(文春文庫)

ねこです。

なにも しらない から こそ ゆめ は みられる って きいた こと が あります。
そして その ゆめ へ の みち を しらべて その みち の けわしさ を しって
なお その みち を すすむ もの こそ ゆめ を かなえられる とも。

ねこ の ゆめ は にんじゃ に なる こと ですが
ひび しゅぎょう がんばって ます。

おねいさん が うえた ピーマン の なえぎ を みょんみょん と とびこえたり
おねいさん が おとす かぎ や スプーン の おと を ききわけたり
おねいさん が なげる ちくわ を すばやく てつアレイ を さけながら とったり

にんじゃ の みち は けわしい けど いつか なれると しんじて います。
にんじゃ に なったら まさむね と えんげつりん そうび するのです!
ねこ ってば さいきょー!

コンビニ人間

こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。

 特に喋り方に関しては身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが私の喋り方になっている。
 大抵のひとはそうなのではないかと、私は思っている。前に菅原さんのバンド仲間がお店に顔を出したときは、女の子たちは菅原さんと同じような服装と喋り方だったし、佐々木さんは泉さんが入ってきてから、「お疲れさまです!」の言い方が泉さんとそっくりになっていた。泉さんと前の店で仲が良かったという主婦の女性がヘルプに来たときは、服装があまりに泉さんと似ているので間違えそうになったくらいだ。私の喋り方も、誰かに伝染しているいるのかもしれない。こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。

村田沙耶香.コンビニ人間(文春文庫)

ねこです。

しゃべりかた だったり はなしことば だったり
しょぞく する グループ に よって かわって いきます。

おねいさん が こうこう の ころ アルバイト を していた ぼう ハンバーガーショップ では
マネージャ さん の くちぐせ が くせ が ありすぎて だいりゅうこう。
でんわ を かける とき「もしもし」 では なく「もっしもっし」って いうのが おやくそく。
マネ―ジャ さん の くちぐせ が「もすもす」じゃ なくて よかった です。
そのへん ひじょうに センシティブ で あやうい ところ。

しゃかいじん に なって から は かいしゃ の おじさん たち の えいきょう も あって
「エイヤ」とか「ガッチャンコ」とか「ほぼほぼ」とか
さいきん わだい の おっさんビジネスようご を ふつー に つかい すぎ。
そして わかい こ たち に つうじない かなしい げんじつ。

ねこ も おっさんビジネスようご つかう とき は まわり きょろきょろ しながら つかって いきたい です。