気軽に、「さようなら」が言えるのは、別れのつらさを知らない者の特権だ、と私は思う。
「今日は午後の授業はないんですか?みんな帰っていますよね」
伊坂幸太郎.重力ピエロ(新潮文庫)
ジャージ先生は顔を歪めた。「この落書きが、何かの犯罪の兆候だと言うんですよ。PTAが、ですね。だから今日は子供たちを帰宅させたほうがいい、とそうなったわけですな」
「こんな落書きだけで?」
「ええ、こんな落書きでですよ」
「犯罪なんていつ起きるか分かるはずがないのに」
「まったくそうだと思うんですが、まあ、最近は何と言うか、難しいんですな。事件事件が起きたら大騒ぎになるし、未然に防ごうと神経質なんですな」
「もっと気にすべきことは他にありそうですけどね」
「それこそ子供たちには、感謝し、与え、謝罪する、ということの意味を教えてあげたいですな」ジャージ先生はしみじみと言った。
「そうですな」私はまたしても、口調を真似していた。伝染しやすい喋り方だ。「このあたりに、会社やお店の入ったビルのようなものはありませんか」と質問を続ける。
「会社やお店?」
「曖昧な質問で申し訳ないのですが」
「あの辺にいろいろありますよ」と指を向けてくれたのは、大通りのほうだった。
礼を言って、自転車のスタンドを外し、跨った。ジャージ先生は子供たちに挨拶をしている。無邪気に、「さようなら」と言っている子供たちは可愛らしかった。気軽に、「さようなら」が言えるのは、別れのつらさを知らない者の特権だ、と私は思う。
ねこです。
おねいさん いわく おとな に なってから さようならって いう きかい あんまり ないらしい。
さよならは わかれ の ことばじゃ なくて
ふたたび あう ための とおい やくそく
って やくしまるさん も うたってたけど
やっぱり さようならって いわれる と ちょっぴり せつなく そして かなしい。
せんせい は まいにち いわれて かなしくなるのかな?
さようならって いわれたら さんしょううお も かなしむのかな?